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昨日 — 2026年6月5日HuffPost Japan - Athena2 - All Posts

NHK『風、薫る』「いい人でなければ死んでもいいのですか?」の問いに反響。バーンズ好演のエマ・ハワードとは何者か

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見上愛、上坂樹里がW主演を務める連続テレビ小説『風、薫る』。田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)を原案としたオリジナル作品で、激動の明治、看護の世界に飛び込んだ二人の“トレインドナース”を描く本作。

「登場してから俄然面白くなった」と言われるのが、看護婦養成所にあらわれたスコットランド出身の教師・マーガレット・バーンズ(エマ・ハワード)だ。

【画像】尋常ではないバーンズ先生

登場から尋常ではなかった

登場の瞬間から、バーンズは尋常ではなかった。生徒の前に立つなりネイティブの英語でまくし立て、誰の紹介も受けないまま一人ひとりの名前と顔を言い当ててみせる。種明かしはない。だが、入学後の宿題「What is nursing?(看護とは何か)」の答えが「observe(観察)」だったことを思えば、答えは知れる。観察によって、彼女はすでに生徒たちを“見て”いたのだ。

日本語がわからないフリで説明を省き、ベッドメイキングや掃除を繰り返しダメ出しする――その理不尽の一つひとつが、生徒自身に「なぜ」を考えさせる仕掛けだった。手取り足取り教えるのではなく、観察する目を育てる。

実習編に入ると、その“フリ”は別の意味を帯びる。帝都医科大学附属病院では、医師たちは看護婦見習いを「看病婦」と一段下に呼び、何か問題が起きれば看護婦のせいにしようとする。バーンズが日本語をあまり話せないフリを通すのも、そのほうが都合がいいからだ。言葉が通じないことを盾に理不尽な指図をかわし、見習いが矢面に立たされそうになれば、その前にすっと立つ。

乳がんで入院した和泉侯爵夫人・千佳子(仲間由紀恵)の担当にりん(見上愛)が指名されたときも、反対した。難しい患者を見習いに押しつけ、何かあれば責めを負わせる算段を、見抜いていたからだ。こうしてバーンズは、生徒たちを守る防護壁になっていく。

その一方で、当のりんが「やりたい」と申し出て、直美(上坂樹里)がそれを後押しすると、バーンズは引き下がり、信じて任せる。守るべきは守り、託すべきは託す。事実、りんはやがて、固く心を閉ざしていた千佳子の信頼を勝ち取っていく。厳しくもあたたかい「師」の顔が、ここにある。

容赦なく突きつけた「いい人でなければ死んでもいいのですか?」

それが最も鮮やかに表れたのが、今週(第10週)の展開だ。ゆき(中井友望)とトメ(原嶋凛)が担当する患者・小野田(宮地雅子)が危篤に陥る。意識が混濁したまま目を覚ました小野田は、遠方の娘の名を呼ぶ。トメはとっさに娘のフリで応じ、「どちら様で?」と問われたゆきは娘の友人のフリをする。その夜、ゆきは寝ずに看病し、翌朝、小野田は「ゆきさん、娘を……」と言い残して息を引き取った。

ゆきはその後、食事ものどを通らなくなり、3日間、実習を休んで床に伏せる。そこへ現れたバーンズは、声をかけるなり乱暴に布団をはぎ、ほかの生徒に告げる。「今からここで授業をします」。休んでいる理由を問われたゆきは「耐えられないからです。小野田さんがいなくなったことが」と答える。だがバーンズは退かない。「いなくなったのではありません。心臓の病で亡くなったのです」。ここに来たときには、もう助からないとわかっていたはずだ、と。

涙ながらにゆきは打ち明ける。いつ亡くなるかわからない人を看護するのが怖かったこと、小野田がいい人で、会うたびに好きになってしまったこと。そして、看護は人を助けるだけでなく見送る仕事でもあり、何もできずに見送るほうが多いと実習で思い知った、と。バーンズが返した「いい人でなければ死んでもいいのですか?」の一言は、看護という仕事の前提を容赦なく突きつける。

バーンズは、同じく小野田を担当したトメに水を向け、あえて英語に切り替える。「トメはおもてに出さないだけで、つらくないわけではありません。耐えることと、つらいと思うこと。この二つは別の話です」。

促されたトメが口を開く。一番上の兄を労咳で亡くしたこと。皆で懸命に看病したのに助けられず、「悔しくて悔しくて、敵をとってやろうと思って」看護婦を目指したこと。かつて医師を志した多江(生田絵梨花)は、それを聞いて「志が違う」と見下したことを悔いる。だが当のトメは笑う。「敵討ちは志高くもねえ、病気さ、逆恨みだ」と。志の高さで人を測った多江を、トメの言葉が軽々と越えていく。

そのうえでバーンズは、ゆきに向き直る。「看護の人は、いえ、医療の仕事に就く人は、人を助けたいと願い、勉強や訓練を重ねるのに、これから先、助けられない瞬間はもっと訪れます」。そして、この実習で生まれた課題に、あなたなりの答えを出してほしい、と。突き放すでも慰めるでもなく、問いをゆき自身の手に返したのだ。

“辞める”生徒を引き止めない

ところが、である。特別授業を終え、ゆきは実習に復帰する――と思いきや、校長への挨拶を済ませて出てきた彼女は、看護婦になるのをやめると告げる。「覚悟が決まったのかと思った」と言われ、ゆきは静かに返す。「私は、看護婦にならないという覚悟を決めました」。自分は人の生き死にに関わる仕事ができる人間ではない。「私自身のため、何より患者さんのため、看護婦にならないのが誠実だと」。そう言い残して去っていく。バーンズが手渡した問いに、ゆきは“辞める”と答えたのだ。

バーンズは、引き止めない。生徒の上に立っていた彼女は、いつしか傍らに降りていた。同じ場所に立ち、同じ方向を見て、同じ道を歩む――「師」の顔は、「志」を分かち合う同志の顔へと変わっている。自らの意思で道を選び直したゆきを否定せず、ただ、その背を優しく抱きしめる。続けることだけが正解ではない。辞める決断を誠実に選び取った人間がいる、と認める強さが、このハグには宿っている。

看護は、技術を身につけても、高い志があっても、患者に寄り添う気持ちがどれほど強くとも、ふと挫けてしまう厳しい道だ。だからこそ、優しい心と、折れない強い心と、仕事としての冷静さの3つが要る。観察する目を持ち、それらを兼ね備えた人物として、バーンズは描かれる。登場でこのドラマが俄然面白くなったのは、彼女が“看護とは何か”を立ち姿で体現しているからだろう。

エマ・ハワードとは、何者か?

登場の一瞬でこれだけを伝えるエマ・ハワードとは、何者か。イギリス・ロンドンの出身で、名門マウントビュー演劇学校に学び、チチェスター・フェスティバル劇場で開幕したライオネル・バートのミュージカルで主演に抜擢された実力派だ。

ウエスト・エンドやエディンバラ・フェスティバルの舞台を経て、現在は日本を拠点に活動する。NHK『しごとの基礎英語』やNHKワールド『Japanology Plus』のメインナレーター、NHK『英語であそぼ』への出演でも知られ、映画『ジャッジ!』(サラ役、2014年)、『ハゲタカ』(アンナ役、09年)、NHKドラマ『龍馬伝』『負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂〜』、フジテレビ系ドラマ『不毛地帯』、日本テレビ系『24時間テレビ48』内のスペシャルドラマ『トットの欠落青春記』(英語教師役)などに出演してきた。言葉の手前にある“佇まい”で、その人物の職業や矜持までを語ってみせるーーバーンズに、これ以上ふさわしい俳優はいない。

バーンズのモチーフは、日本で最初に看護婦を育てたスコットランド出身の看護教師、アグネス・ヴェッチ(1842年〜1942年)だとされる。「病棟を家庭のようにする技術をもっている」と評され、その思想を日本に持ち込んだヴェッチの姿は、そのままバーンズに重なる。

「道をはずれた人から、いつも道は生まれた。」ーー本作のキャッチコピーが指す“新しい道”を、りんや直美の半歩先で歩き、ときに守り、ときに突き放す。その背中が、二人の道しるべになっている。

【あわせて読みたい】「卑しい身分の者がやるもの」、NHK『風、薫る』でフユが突きつけた“余裕を失った暮らし”のリアルに反響【ネタバレ】

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見上愛(競馬・第92回日本ダービーの表彰式。東京競馬場)

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「卑しい身分の者がやるもの」、NHK『風、薫る』でフユが突きつけた“余裕を失った暮らし”のリアルに反響【ネタバレ】

見上愛、上坂樹里がW主演を務める連続テレビ小説『風、薫る』。田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)を原案としたオリジナル作品で、激動の明治、看護の世界に飛び込んだ二人の“トレインドナース”を描く本作。

【動画】反響を呼んだフユと康介の夫婦シーン

第8週で侯爵夫人・千佳子(仲間由紀恵)の信頼を得たりん(見上愛)は、手術が怖いと本音を漏らす千佳子に夜通し寄り添い、手術にも立ち会う。その見学のさなか、りんの目を引いたのが、手術介助を担うベテラン看病婦・永田フユ(猫背椿)の手際の良さだった。

「好きでやってるわけじゃない」不機嫌でぞんざいな看病婦・フユの切実な背景

フユは10年のキャリアを持つ古株の看病婦である。誰より作業が速く、誰より多くの仕事をこなす。だが、その態度はぶっきらぼうで、患者にもぞんざい。いつも不機嫌そうで、怒っているようにすら見える。看護婦見習いたちが看護の勉強で得た知識から新しいことを提案すれば、これ以上仕事を増やしてくれるなとばかりにうっとうしがる。直美(上坂樹里)も率直に言う。「感じ悪いし、患者に対してぞんざいだけど、作業は速くて誰より多くこなしてる」。近寄りがたく、感じの悪い人物ーーフユは終始、りんたち看護婦見習いからそう思われている。

だが、第9週が丁寧にすくい上げていくのは、その“不機嫌”や“怖さ”の奥にあるものだ。フユは、この仕事が好きでやっているわけではないと言う。看病婦は当時、行き場のない人がなる職業で、「卑しい身分の者がやるもの」とされてきた。賃金は安く、それでも女ができる仕事がほとんどなかった時代の、ぎりぎりの選択である。お金がないために息子を10歳で奉公に出し、足を悪くして働けなくなった夫を養いながら、仕事を終えて帰宅したあと、夜遅くに洗濯などの家事をこなすーーフユはそんな日々を送っていた。「お金がないから、亭主が足を悪くして仕方なく、恥をしのんでこの仕事についたの」。その言葉には、生活に追われて余裕を失った人の切実さがにじむ。

それでも、フユは目の前の仕事を懸命にこなしている。あの卓越した手際の良さは、生まれ持った器用さなどではなく、長年の努力の賜物だ。驚かされるのは、多忙のなかでも家で食器や布を手術道具に見立てて練習しているらしいことだ。生きるために就いた、好きでもないと本人が言う仕事に、なぜそこまでするのか。責任感の強さだけでは説明がつかない。本当はこの仕事が好きなのではないか――そう思わせる何かが、彼女の手つきには宿っている。ただ、それを認める余裕すら、いまの暮らしは彼女に許していないのだ。

だが、その努力と技術は、医師たちにはまるで伝わっていない。それどころか、医師たちは看病婦と看護婦見習いを分断させ、フユの10年の経験は、座学で学んだ“学問”の前に軽んじられていく。仕事に対しても、足の悪い夫に対しても責任を負い続け、誇りすら奪われながら、なお目の前の手を止めない。その姿は、見ているこちらが、いつ押しつぶされてしまうのかと案じてしまうほどに張り詰めている。

フユの夫・康介(じろう)の言葉には、「なんか」が貼りついている。「私なんか」「看病婦なんか」ーー自分を、妻の仕事を、その「なんか」で削り取っていく。足を悪くして働けない情けなさが卑屈さに変わり、自分だけでなく妻の職業まで蔑む言葉になって表れる。役に立たない、価値がない、と自らを値引きする口癖は、聞いているだけで胸が締めつけられる。

そんな康介に、りんは言う。「フユさんは看護婦なんか、と言われるような仕事はしていません」。手術介助が一番上手なのはフユであり、それは自分には一生できないことだと。そして、どうかご主人はご主人だけはいたわって差し上げてください、ご自分のことも「私なんか」などと言わないでください、と。一人の人間を「なんか」で切り下げる物言いに、りんは明確に抗おうとしている。

ただ「気の毒な弱者」ではない。猫背椿とシソンヌじろうが立ち上げる夫婦の空気

この週がすぐれているのは、こうした人物を、ただ気の毒な弱者としては描かないところだ。りんに手術介助を教えてくれと頭を下げられても、フユは「お金くれたらね」と冷ややかに月謝を要求する。だがそれは、性格が図太いからでも、ずる賢いからでもない。本当に余裕がないのだ。好意で人に何かを分け与えられるだけの余白を、生活がとうに奪ってしまっている。タダで教えるという選択肢を持てないほど追い詰められているーーその切実さこそが、あの言葉を言わせている。親のいない直美だけが、それを見抜く。「卑しいんじゃなくて、本当にお金なくて切羽詰まってるって考えないの?」。

この複雑な人物に確かな手応えを与えているのが、猫背椿という役者の頼もしさだ。不機嫌で、怖くて、近寄りがたい。けれどその一挙手一投足の奥に、生活の疲れと、それでも崩れない芯の強さと、誰にも気づかれない努力の痕跡がにじみ出ている。台詞で説明されるよりずっと前に、観る者はフユの背負ってきたものを身体から受け取ってしまう。憎まれ口の裏に確かな自負があり、ぶっきらぼうな手つきに10年の経験が宿る。その厚みに、猫背は抜群の信頼感で説得力を持たせた。

猫背は、19歳で松尾スズキ主宰の劇団・大人計画に入団した。宮藤官九郎脚本作品の常連として知られ、『タイガー&ドラゴン』(05年)の谷中鶴子など、市井に生きる女性を演じさせれば右に出る者がいない。

朝ドラ出演は、保母を演じた『ちゅらさん』(01年)以来、実に四半世紀ぶりとなる。派手な見せ場がなくとも、立っているだけ、手を動かしているだけで、その人がどんな日々を生きてきたかを伝えてしまう――永田フユという、説明の少ない、それでいて陰影に富んだ人物像は、まさに猫背のキャリアが丸ごと注ぎ込まれたような役どころだ。夫・康介を演じるのは、『まれ』『虎に翼』に続いて朝ドラ3作目となるシソンヌ・じろう。コントで培った独特の間が、卑屈さの奥にある康介の弱さと愛嬌をにじませ、あの貧しくも確かな夫婦の空気を立ち上げている。

やがて、りんと直美の言動が、少しずつフユと康介の心を解きほぐしていく。フユは手術介助を教えてもいいと言いだし、これを機に看病婦と看護婦見習いは互いの知識を教え合い、協力し合うようになる。だが第9週がいちばん深く刻むのは、その和解そのものよりも、好きでもないと言いながら誰よりこの仕事に手をかけてきた一人の女性の、奪われてもなお残った凄みのほうだ。ゆとりさえあれば、フユは「好き」と言えたのかもしれない。

猫背が体現したその姿は、この物語に、働くことと尊厳をめぐる重い問いを静かに残していく。

【あわせて読みたい】NHK『風、薫る』仲間由紀恵のセリフ「おばさんのフリがうまくなるだけ」…年を重ねる多くの視聴者から共感

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NHK『風、薫る』仲間由紀恵のセリフ「おばさんのフリがうまくなるだけ」…年を重ねる多くの視聴者から共感

見上愛、上坂樹里がW主演を務める連続テレビ小説『風、薫る』。田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社、2023年)を原案としたオリジナル作品で、激動の明治、看護の世界に飛び込んだ二人の“トレインドナース”を描く本作。

【画像】「朝から号泣」と話題の仲間由紀恵さんの名シーン

第7週に始まった帝都医科大学附属病院での実習編を受け、第8週「夕映え」で大きな試練となる患者として登場するのが、和泉侯爵夫人・千佳子を演じる仲間由紀恵だ。

「生きたいと思うことは、恥ずかしいことではありません」千佳子が初めて吐いた弱音

千佳子は乳がんで帝都医大病院に入院してくる。がんは進行しており、乳房切除手術をしても助かる見込みは半分以下。医師たちは特別室で厚遇するが、千佳子は何もかも気に入らず、手術を受けずに退院すると言い出す。

看護の担当となったりん(見上愛)にも「女中なら足りてる」と取り付く島がない。検温も会話も拒絶。食事を問えば「なぜあなたにそんなこと?」、お通じについて尋ねれば「無礼者! 恥を知りなさい! 出てって!」。同僚たちと語り合うなかから「もし自分が患者だったら」と寄り添おうとしたりんは、かえって「気持ちがわかるなんて、たやすく言わないでちょうだい!」「思いあがらないで!」と逆鱗に触れてしまう。

常に着物も髪も綺麗に整え、昼間も床には入らず、広い特別室の隅の椅子にかけ、テーブルに向かって『源氏物語』を読む千佳子。脈をはかろうとするりんの手をはらい、体温計はそのまま女中に手渡してしまう。医師たちの頻繁な回診は病院の名誉のため千佳子を必死で引き止めようとするもので、千佳子の気持ちを汲もうともせず、見舞いに来る夫と息子には「ワガママ」「不機嫌」ととられるばかり。

窓の外をただ眺めて立ち尽くす後ろ姿から立ち上がるのは、武家の女としていかなる時も弱音を吐かず気丈に生きてきた人の佇まいだ。同じ場所に立ち、同じ方向を見てくれる者が一人もいなかったのだろう。ただでさえ広い特別室が、いっそう広く、寂しく見える。

そんな千佳子の固く閉ざした扉を、最初に押したのは「わかろうとしすぎない」言葉だった。直美(上坂樹里)に救われ、中庭で同僚たちと言葉を交わすうち、りんは気づく。家族や友人ではない自分が、患者の本当の気持ちをわかるはずがない。そう肚を決めたりんは、千佳子に伝える。「残念ながら私に奥様の本当のお気持ちはわかりません。看護婦見習いの他人です。ですから、ご家族のように気遣う必要もありません」。突き放すようでいて、看護婦としての立ち位置を引き受け直したこの言葉に、千佳子はようやく口を開いていく。

そこから語られるのは、祝言の日の夫の言葉だ。恥ずかしくて何も話せずにいる自分に、夫が「空が綺麗ですね」と言ってくれたこと。「空を綺麗だと言う人が夫で良かったと思った、よく覚えてる、こんな年になっても」。そして――「人って思ってるより変わらないものよ。子どもができたらもっと大人になると思っていた。その息子が一人立ちするころには、当たり前のようにおばさんに、おばあさんになると思っていたの。けれど、気持ちは変わらないのよ。大人のフリが、おばさんのフリがうまくなるだけで」。胸を失った自分で夫の隣にいるのが悲しくて、恥ずかしくて、それを口にするのも恥ずかしい――だったらいっそ何もせず、今のままの私で。

「死にたくない、生きたいと思うことは、恥ずかしいことではありません」。りんがそう返すと、千佳子は初めて弱音を吐く。「どうしてこんな意地悪な病がこの世にあるのかしら……どうして私が……」。武家の女と言いながら、少しも肚が決まらない、と。そんな千佳子を最終的に動かしていくのが、夫・元彦(谷田歩)の存在であり、そこに至るりんの働きかけだ。

“朝ドラ4作目”仲間由紀恵が演じてきたのは……

仲間由紀恵が華と気品で本作に持ち込んだのは、たんなる“難しい患者”像ではない。看護婦見習いたちに「看護とは何か」を否応なく問い直させる存在であり、りんにとっては避けて通れない試練そのものだ。

「人って思ってるより変わらないものよ」「大人のフリが、おばさんのフリがうまくなるだけ」――あの一節は、年を重ねる女性なら誰しもどこかで頷くだろう。仲間はそれを、声を張ることなく、むしろ気品をまとった姿勢のままで放つ。台詞ではなく、佇まいが先に語ってくる俳優だ。

仲間由紀恵が朝ドラに出演するのは、『天うらら』『花子とアン』『ちむどんどん』に続いて本作で4作目になる。

なかでも強烈な印象を残したのが、『花子とアン』(2014年度前期)の葉山蓮子だ。家の経済問題のため親の決めた九州の石炭王・嘉納伝助(吉田鋼太郎)と結婚させられた華族の娘で、やがて自分を家柄で見ない宮本龍一(中島歩)と出会い、命懸けの駆け落ちで“家”と“名前”を捨てる人物だった。

『ちむどんどん』(22年度前期)の比嘉優子は、ヒロイン・暢子(黒島結菜)の母であり、だらしなく借金を重ねる長男・賢秀(竜星涼)にばかり甘いと批判もされたが、それは沖縄という地域性と時代性のなかで、女性たちが背負わされてきた重さの裏返しでもあった。

家柄、嫁ぎ先、母としての立場――朝ドラのなかで仲間由紀恵が引き受けてきたのは、女性性をめぐる柵(しがらみ)や呪い、窮屈さと、それでもなお手放されない深い愛情である。千佳子もまた、その系譜にいる。「華族といってももとは武家、武家の女らしく潔く死にます」と言い切れてしまうほどに、自分の身を律する規範を背負った人。その規範ごと愛し、その規範ごと苦しんでいる人を、仲間は静かに、華のある姿で演じてみせる。

そして千佳子の心の奥に唯一触れていくのが、直美の言葉を借りれば「患者を怒らせ、笑わせ、心に触れる看護もできる」りんであり、もとは同じ武家の女だった、という符合も説得力がある。

自身ももとは武家の娘で、看護婦になることを母・美津(水野美紀)に「恥を知れ」と反対された――その武家の女としての誇りを誰よりも理解しているからこそ、りんは千佳子の矜持を頭ごなしに退けない。そして、それでもなお今は娘を応援してくれている母の存在を知っているからこそ、武家の女の規範の先に別の道がありうることも示せる。武家の女の誇りに敬意を払いつつ、その奥にもう一つの扉があると伝えること――そこに、千佳子の心に触れる鍵があった。

第8週、特別室のあの広さと寂しさは、これから何度でも思い出されるはずだ。

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仲間由紀恵さん
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